バイセル切手買取の評判

バイセルの切手買取では希少価値のある明治大正、昭和の戦前に発行された普通切手、
プレミアム切手、記念切手には高額査定してもらえる可能性が高いです。
そこで近代郵便切手の黎明期からその価値を解説していきたいと思います。
日本においてはじめて郵便切手が発行されて、新式の近代郵便制度が確立するまで
国営の郵便事業は存在せず、通信は主として民間業者の「飛脚」に委ねられていた。
飛脚は、江戸幕府の宿駅制度を利用し、江戸、大阪間の手紙の送達を行ったのが始まりである。
1663年(寛文3)からは、幕府の許可を得て江戸、京都、大阪で飛脚を開始、
当初は月に3回の便を差し出してたことから三度飛脚ともいう。
1782年(天明2)からは公用文書も扱うということで定飛脚となった
この飛脚は取扱地域を次第に拡大、東海道を幹線として発達した。中小の飛脚屋同士が
相互にネットワークを作っていたいのである。やがて金子や為替も取り扱うようになった
1871年(明治4)4月20日、明治新政府はその樹立後わずかン4年足らずで東京・大阪間に
せんしてきに新式郵便制度を確立した。誠に驚くべき迅速な改革と言えよう。
1873年(明治6年)4月1日には郵便料金を全国均一とし5月1日から飛脚営業を原則禁止
結う分を政府独占事業といした。しかし、わずか2年間で郵便制度を全国に広げることができたのは
江戸時代の宿駅制度や民間の飛脚問屋が十分な発達を遂げていたことが前提となっている。
郵便創業時からその全国展開までの短い期間に郵便未開業の地域では郵便切手を貼った手紙
を飛脚問屋が運ぶこともまれにあった。東海道に郵便が開業したのばかりの時に、飛脚が
引き受けた手紙を途中から郵便で差し出してたものなどもわずかに知られている。
町飛脚とは大阪の飛脚問屋「堂島・東源」扱いの飛脚便。付箋に「店走り」とあるが、
差出人が飛脚やまで出向き、店走りを依頼すると飛脚屋はこの手紙を受け取るやいなや
即座に逓送に走ったことを示すもの。東海道筋の三度飛脚とは三都「江戸・京都・大阪」
定飛脚問屋による飛脚のこと。三度飛脚の期限は1615年に大阪城番衆の定飛脚
が3度、江戸と大阪の間を往復していたことに由来するといわれている。この飛脚便は
尾張屋吉衛「江戸三度飛脚出所」が引き受け、江戸の「永楽屋」が配達。2つの飛脚屋の印
が見られる。
東海道枝道の飛脚とは定飛脚問屋の連携として、途中の宿駅で飛脚便の低い毛と配達を行った
。配達の際に押された到着印には「江州(現在の滋賀県)土山宿・飛脚取次所、日野屋太郎左衛門
とある」
飛脚と郵便の併存とは郵便制度発足初期に飛脚屋に差し出した書状で、飛脚屋、鹿島屋任三郎
の印が押され、三島駅で郵便切手に三島検査済みの大型地名検査済み印、飛脚と郵便の
コンビネーション。飛脚の様子は葛飾北斎「富士百撰 暁ノ不二」にも描かれている。
まだ郵便の黎明期には切手は誕生しておらず、印、今でいう印鑑・サインがされていましたが
郵便制度が発達していく中で切手にとって代わります。